Miyazaki Sizen Mirai Web Site

トーク・レポート

フィールドワークレポートなど

◎綾北川渓谷のホルトノキ再発見記
その巨樹と出会いました。偶然でした。綾北川渓谷の照葉樹林を・・・

◎全国で頻発する地震は、原発に対する自然からの警告
断層が分かっていないところでも地震は起きる。もう一度・・・

◎有意義だった尾鈴カルデラの痕跡と児湯の自然探訪
尾鈴山系が火山性であることは、「尾鈴山北東部エコウォーキング」で・・・

◎キュウミンダハ
「キュウミンダハ」と書くと何の事か分からない。何の事かと・・・

◎綾の森を見つめて
特徴的なのは、森一面を黄金色に染めるシイの花咲く光景である・・・

◎2015年サクラの花びら調査 過去最も低い異常花率、平均0.8%
東日本大震災の直前、宮崎県と鹿児島県にまたがる新燃岳が噴火した・・・

◎「綾の照葉樹林散策」アヤグリーン 綾の照葉樹林・綾南川周辺散策
ゴールデンウイーク過ぎなので観光客も車もちょっと少ない時期だが・・・

◎写真家・芥川仁さんと歩く青島植物観察会
「いざ青島へ!」とは言っても、今回は足下の青島が観察会の舞台・・・

◎記憶に残る再稼働反対ウォーク
なんとなく雨が多い感じ。でも、スペシャルウォークがある週は・・・


◎綾北川渓谷のホルトノキ再発見記

小川 渉(宮崎の自然と未来を守る会)

ホルトノキ
筋骨隆隆、奈良東大寺の金剛力士像を連想させます。

 2016年6月1日、その巨樹と出会いました。偶然でした。綾北川渓谷の照葉樹林を撮影した帰り、以前から気になっていた竹野集落上流にある水力発電所跡を見に行った時のことでした。発電所は屋根と壁だけを残し廃墟となっていましたが、綾北川へ下る斜面に異様な木が現れたのです。胸高あたりから二股になって、太い方の幹は斜め60度に大蛇のごとく張出しています。斜面を下り見上げると、長い年月耐えた証として、黒々とした幹に深いヒダやコブが見られます。熱帯の高木に見られる板根状の根が張っていて、川面に近い軟弱な土壌に踏んばっている様がたくましくも、いじらしく感じられます。
 樹皮や枝の張り方からタブノキではないかと思いましたが決め手なく、河野耕三さんに確認してもらったところ、ホルトノキと判明しました。巨樹研究家の池田隆範さん(佐土原在住)には後日、実測してもらい545cmの幹周を得ました。ホルトノキとしては全国一の「比波預天(ひはよてん)神社のホルトノキ」静岡・伊東市が690cm、唯一の国指定記念物「竹野のホルトノキ」は630cmなので相当なものです。伊東の木は実際に見ましたが、老木で半分は枯枝となっていたり、竹野は寿命が近づいている状況から、樹勢盛んなこの巨樹が、ホルトノキを代表する日が来ると思っています。天然記念物に指定されるか否かは別として。
 水力発電所は九州電力が昭和30年代前半まで運用した後、周辺を町がキャンプ場として利用したことから、当時はこの木を目にした人はいたはずで、半世紀近く経て再び知られることになりました。その意味で「再発見」としたものです。名称は「竹野の」と区別することも含めて「綾北川渓谷の」が適当だと思います。
 ここは町有地であると確認できたことから、綾町の財産として大切に管理し、遊歩道の整備が実現すればユネスコエコパークの見所の一つに浮上します。自然遺産のホルトノキと産業遺産の発電所跡の組合せで。
照葉樹林だより第47号(2017年1月1日/発行:てるはの森の会)より



◎全国で頻発する地震は、原発に対する自然からの警告

青木幸雄(宮崎の自然と未来を守る会)

地震と原発講演

 福島第一事故から5年と8ヵ月過ぎた。記憶が薄れる中、11月22日の福島沖の地震は3.11を思い起こさせた。それにしても、全国各地で地震が頻発している。
 時間を遡れば、11.18の福岡県北西沖、11.12には宮城県女川原発近く、10.21には鳥取県中部でM6.6震度6弱。断層が知られていなかったところである。その前は阿蘇が噴火。韓国でも原発近くで地震があった。断層が分かっていないところでも地震は起きる。もう一度、地震と原発の問題にしっかり向き合う必要がある。
 特に「熊本地震」は、原発の再稼働・運転に多くの問題を浮上させた。震度7が2回、震度6強2回、震度6弱3回というように揺れの強い地震が何度も起きた。繰り返し強い地震が原発を襲っても本当に耐えられるのか。
 4月14日の地震(気象庁=前震、震度7)はM6.5の中地震だが、益城で観測の地下データの解析から、原発の直下もしくは周辺で起きていたら、原発は炉心溶融、つまり崩壊した可能性が指摘されている。基準地震動(原発で想定する最大の揺れ)の抜本的見直しが必要だ。 「熊本地震」では家屋の倒壊のほか、崖崩れ、山崩れ、橋の崩落などで交通網はズタズタになった。原発事故が重なっていれば、私たち住民は逃げられず、避難計画や地域防災計画は絵に描いた餅だということが分かった。
 「熊本地震」は、日本最大の活断層である中央構造線上で起きた。東に行けば伊方原発があり、南南西に行けば川内原発だ。伊方原発では6~8km沖合に中央構造線断層帯、最新の報告では中央構造線本体はわずか600m沖合だという。川内原発でも日奈久断層の再検討により、断層が目の前の甑海峡に定置している可能性があるという。
 飛び火・連鎖で「熊本地震」のような地震が原発直下もしくは間近で起きれば、地域はもちろん日本が崩壊しかねない。そういう問題意識のもと、地震学の専門家である島村英紀氏(武蔵野学院大学特任教授)に講演をしていただいた。明快な講演だ。全国のみなさんにぜひ聴いて欲しい。

◎「地震と原発」講演会/演題:「熊本地震」から川内・伊方原発を考える
  2016年11月24日(木)/メディキット県民文化センター(宮崎市)



◎有意義だった尾鈴カルデラの痕跡と児湯の自然探訪

青木幸雄(宮崎の自然と未来を守る会)

大御神社

 2016年度企画で、川南湿原----大御神社----小丸川揚水発電所下部ダム池を訪ねた。尾鈴山系が火山性であることは、「尾鈴山北東部エコウォーキング」の時に知った。2005年のことだ。主目的は、石並川の上流部を訪ねることと、山麓の歴史を学ぶことだった。その時目にしたのが、林道脇の巨大な柱状岩だった。ずっと気になっていたが、日向市の景勝「馬ケ背」等で見られる柱状岩との関係が認識できるまでには、少し時間が必要だった。
 福島第一原発事故以降、原発と火山の関係が表立って議論されるようになり、巨大噴火のことが火山学者や研究者等からたびたび語られるようになった。地域の研究者も、勉強会を開いたり、フィールドで市民を案内する機会がふえたようだ。私自身も火砕流露頭などを案内して頂いたり各地の博物館などを訪ねる機会も増え、大地の成り立ちも考えるようになった。
 分かりきったことではあるが、私たちは巨大噴火のはざまで生きている。今も地球は生きているのだ。日本そのものが世界有数の地震国でもあり火山国でもあるが、中でも中九州から南九州にかけてはカルデラ博物館のようである。阿蘇は誰でも知る巨大カルデラだが、桜島を有する錦江湾奥の姶良カルデラ、指宿から南大隅にまたがる湾入口の阿多カルデラ、薩摩半島南海域の鬼界カルデラ、もう少し時間をさかのぼれば小林カルデラ、加久藤カルデラもある。だがこれらは数十万年までの過去への遡りだ。尾鈴カルデラは、もっともっと古かった。
 日向市伊勢ケ浜に隣り合って大御神社がある。海岸には見事な柱状岩が立ち並ぶ。神社にある説明書では、次のようにある。「今から約1500万年前のこと。神社の沖にある海底火山の活動によりこの海岸一帯は多量の火砕流が押し寄せ堆積しました。そして長い年月をかけて固まったのが柱状節理(溶結凝灰岩)です。」と。そう、尾鈴山の活動期は1700万年から1500万年前頃のことであり、活動の中心は1500万年前頃のようだ。
 大御神社には、その柱状岩と隣り合って「さざれ石」というものがある。学名は「庵川礫岩」である。巨大噴火から時間を遡ること500万年、即ち今から約2,000万年前頃のことと考えられている。今の日本列島が出来上がる前のことだ。果てしなく広がる平野部と浅くゆったりした海岸、そしてゆっくりと流れている大河川をイメージすればいいのだろうか。河口付近には大量の細石が溜まり、粘土や砂と混じり、長い年月を経て巨石になったという。大御神社をとりまく岩石は、そういう地球の歴史をイメージできる場所だ。

川南湿原

 ところで、この時の巨大噴火は、日向市沖の海底である。巨大な火砕流を伴い、現在の尾鈴山の方向へも向った。冷えて固まる時に、一部は巨大な柱状岩をつくり、巨大な岩石の塊にもなった。尾鈴山に行けば、たくさん滝が目を楽しませる。名を知られた矢研の滝や白滝を筆頭に、大小様々の美しい滝がある。そして滝の水は平野部を通り太平洋へと向う。平野部と呼ぶにはやや小高いが、10号線のすぐ近くに伏流水が湧き出し湿原をつくっている場所がある。標高約50m、面積33,000平方メートルの川南湿原である。宮崎県が誇る湿原の一つだ。
 1974年(昭49)に国の天然記念物に指定された。ここでは川南町文化財保護審議会委員の方に案内して頂いた。観察用の木道も整備されているので歩きやすい。ここでしか観れない沢山の植物が目を楽しませる。しかし、残念なことが一つ。盗掘が多いのだと言う。そのためにフェンスが作られた。それでもそれを乗り越える輩がいたようで、最近では防犯カメラも作動とのことだ。トッテいいのは、写真撮影だけにして欲しい。ここではサギソウや食虫植物のイシモチソウなどの希少種も観ることができた。湿原の上手は池となっている。その池ではトンボも数多く目についた。私が好きなのは、伏流水がわき出す付近を中心にひらひらと飛ぶチョウトンボだ。カイツブリもいた。バンもいたようだが、私の目にははっきりとはうつらなかった。
 行程的には、川南湿原が先で大御神社が次であった。そして最後が小丸川揚水発電所下部池である。下部池は小丸川本流をダムでせき止めて水を貯める方式でつくられているが、上部池に水が揚げられていたせいか水量が少なく無惨な姿をさらしていた。揚水発電所は原発との関係のほか、自然破壊、景観破壊など多くの問題をはらんでいる。



◎キュウミンダハ

青木幸雄(宮崎の自然と未来を守る会)

「今年の桜はおかしいね」

 「キュウミンダハ」と書くと何の事か分からない。何の事かと思い調べなければならい状況だったのが、今年の宮崎県内のサクラだった。
 宮崎のソメイヨシノの開花は、例年であれば日本の中でも最も早い部類に入る。桜前線は、一般的に九州から咲き始め、だんだん北上する。だが、今年の県内の桜は全く先が見えなかった。特に、平野部ではその傾向が顕著だった。福岡の3月19日開花発表を皮切りに、東京など開花の情報が次々に伝えられるのに、宮崎の桜は音沙汰無し。調査している公園の桜はふくらむ気配すらなかった。会う人のあいさつは決まって「今年の桜はおかしいね」だった。

キーワードは「休眠打破」

 「今年は本当に咲くのか、調査が可能なのだろうか」と、思いあぐねながら、咲かない原因を調べてみた。行き着いたのが「キュウミンダハ」である。漢字で書けば「休眠打破」である。桜の開花の仕組みはこうだ。桜の花芽は、前の年の夏から秋にかけて作られる。そして、いったん眠りにつく。その後、一定期間低温にさらされることで、開花の準備を始める。これが「休眠打破」だ。冬に暖かすぎたり、春先の気温が高くてもダメなようだ。要するに、前年にできた休眠物質(アブジン酸)が冬の寒さで減っていき、次第に暖かくなって行く事で、開花へと向うということのようだ。3月の初め、宮崎はとても温かだったため、休眠物質が減りきらず、混乱をきたし開花が難しかったというのが私の結論だ。

例年の3分咲き、でも結果は良好

 そのため、例年の3分咲きほどが、今年の満開という淋しさで、調査日も満開の日の4月8日へと大幅にずれ込んだ。調査できただけでも喜びたい。しかし結果は良好、異常花は今までの中で最も少なかった。2本の調査木各1,000個の花びらを調べて、異常花は3個と8個、0.3%と0.8%だった。
 九州電力は、多くの住民の反対を押し切り、昨年8月と10月に川内原発1、2号機を相次いで起動させた。それまで約4年にわたり、川内原発は停止していたのだ。川内原発とやはり関係があるのか・・・。調査しているサクラは原発から東に約120kmの距離だ。(2016.4)



◎綾の森を見つめて

坂元守雄(宮崎の自然と未来を守る会)

綾の森

 綾の森の特徴の一つは照葉樹林の優れた景観にある。変化に富む大森岳の山容や急峻な綾南川の渓谷、山や谷を埋める一面の照葉樹林、加えて、それらを対岸からパノラマ状に眺められるのは綾の森だけでよそでは見られず、綾の森が多くの人に親しまれる理由になっている。
 間もなく綾の森にも春が訪れる。2月も終わりに近くなると、それまで眠っていたような一面の暗緑色の森の木の1本1本が芽吹きはじめ、薄緑の若葉の色の中に赤や黄色の明るい色をにじませながら、それぞれの色でそれぞれの装いをして樹冠を染めていく。綾の森の目覚めである。
 3月になると、森の木の1本1本が新緑の若葉の中に常緑樹とは思えないほどのそれぞれの色どりを見せはじめ、それは森全体を日1日と華やかな色に染めていく。綾の照葉樹林が最も多彩な春の装いを見せる時である。とくにこの時期、照葉樹の若葉の森に朝日が射した時の情景を1度目にすると、その素晴らしい光景は脳裏から消えることはないに違いない。
 やがて森は4月から5月にかけて花咲く季節に移り、森の木はさまざまな色合いを見せながら花を開いていく。その中で特徴的なのは、森一面を黄金色に染めるシイの花咲く光景である。眼前に広がる森を一面に埋め尽くした黄金色の森は綾の森のクライマックスの光景で、これもよそでは見られない綾の森の特徴的な景観の一つである。
 綾の森は1989年、環境庁(現環境省)の「自然環境保全調査」で日本一の面積を持つ照葉樹林と発表され全国的に知られるようになった。現在の森の木の樹齢は約百年、戦後の大規模伐採以前には樹齢千年ともいうケヤキやカヤの巨木があったと聞く。
 これから先、わたしたちは環境の問題を考えるうえで、わたしたちの宝である綾の森の恵みを享受しながらも、綾の森を以前の森に復元する遠大な役割りを負っていることを忘れてはならないと思う。
(文・2016.2/photo:坂元守雄)



2015年サクラの花びら調査

◎過去最も低い異常花率、平均0.8%

青木幸雄(宮崎の自然と未来を守る会)

 東日本大震災の直前、宮崎県と鹿児島県にまたがる新燃岳が噴火した。2011年1月26日のことだ。夕方預かっていた孫娘を幼稚園に迎えに行って帰宅途中に、いつもとは違う黒っぽい雲が南の空を覆っていた。すぐに日南海岸に住む友人に電話。「火山灰が降っていない?。桜島?」。電話口かはら「何か降っている、ちょっと待って、ラジオで何か言っている。新燃岳のようだ。」
 私の住まいは宮崎県のほぼ中心、太平洋に近い宮崎市の一番北の町だ。そこから見える噴煙は、夕陽をあびながら宮崎市南部を真っ黒に覆い、太平洋へと流れていた。宮崎市中心部から新燃岳までは、ほぼ真西に約60km。川内原発は、その新燃岳からこれまた真西に約60km。したがって、川内原発から宮崎市まで約120km、その真ん中に新燃岳がある。
 川内原発再稼働問題で、宮崎県当局と私も係る連絡会の間で、対話の機会が何度かあった。県の担当者がさっそうと言い放った言葉は、「宮崎県に放射能は飛んでこない!」であった。場はざわつき、「鹿児島の桜島の火山灰も飛んで来る。中国からも黄砂、PM2.5も飛んで来るではないか」と反論があがった。やりとりが続いたあと、県担当者は、幾分か自信なげに「国によればですよ」と逃げた。県民を守るべき立場の人たちがこうでは困る。新燃岳の大規模噴火は、3月1日までに13回と記録されたが、ある時、畑作業中に噴火爆発音を聞いた。新燃岳方角をみると、噴煙が空高く上がり、見る間にひろがり自分の方に向かってくる。距離が60kmもあるので、2時間ほどは大丈夫かと思っていたが、1時間後には真上だった。川内原発での重大事故は、宮崎県民が大被害を受けることは明白だ。事故時の放射能拡散に見立てた風船放流も、原発建設前からたびたび行なわれてきたが、報告では3時間とか3時間半後には宮崎県内に落下している。
 米統計学者・J.M.グールド(米)は、原発からの距離と乳がん死者との関係を明らかにしている。それによれば、原発から半径100マイル(約160km)以内では、乳がん死者が増加、それより遠いところでは横ばいか減少と分析している。川内原発と宮崎県の関係でいえば、ほぼ全域が100マイル圏に入る。細かくは最も遠い延岡市中心部が約170kmとなるが、こちらは伊方原発にぐっと近くなる。日本全国の原発から半径100マイルの円を描けば、ほぼ全域が入る。そのため、肥田舜太郎氏らは内部被曝・低線量被曝に大きな警鐘をならして来た。現実をみれば、日本人の2人に1人はガンにかかり、3人に1人はガンで死ぬと言われる。それは、原発の通常運転下で出される放射性物質が、大きく原因しているかもしれない。少なくとも、戦後大きく変わって来た食生活や日々生みだされる化学物質だけに、原因を帰すべきではないだろう。
 ところで、サクラの花びら調査を前にしたお彼岸の日、川内原発がある薩摩川内市の南隣・いちき串木野市に出かけた。原発が停止しているため海藻が戻ってきたという。その調査をするというのだ。原発から海岸線を南に約10km、羽島漁協前の桟橋に付くワカメに参加者は驚嘆。続いて市境の海岸へ。原発からは南約6kmのところだ。地元漁師の話として「ワカメ・ヒジキ・テングサ・フノリの順に海藻類がなくなった」伝えられていたが、岩がひしめく磯では、テングサ・フノリ・ムカデノリなどに加え、ワカメ・ヒジキの赤ちゃんも戻ってきていた。それにウニも。でも小さいとのこと。自然の回復は、ゆっくりということか。案内役の地元氏は、原発が停止してから海藻が戻って来たとうれしそうだった。
 さて、サクラである。今年のサクラ調査は田植え(超早場米)が終わったあととなった。開花から1週間過ぎても3分咲き程度。開花後2、3日冷え込んだからなのか。その分、調査は花を愛でながらゆっくりとできた。調査日は3月31日、7分咲き程度。調査にはもってこい、今までで最もいい咲き具合だった。しかし、何かいつもと違う感じを受けながらの調査となった。それもそのはず、異常花が少ないのだ。2本の調査だが、結果は、異常花率0.6%と1.0%、平均0.8%。これも原発が停止しているおかげかと思いたくなる数値だった。調査日のサクラは、つぼみが幾分残っているためか、ほんのり赤見があったが。翌4月1日はぐっと気温も上がり、もう満開。遠目に見るサクラは前日より白っぽく、早くも盛りをすぎつつある感じ。調査も花見も、満開前日か前々日あたりがベストということか。
 海藻とサクラ調査をしながら、原発はもう動かすべきではないと思った。民意は再稼働に反対である。(2015.4.1)



綾の照葉樹林・綾南川周辺散策

◎「綾の照葉樹林散策」アヤグリーン

青木幸雄(宮崎の自然と未来を守る会)

 綾の照葉樹林-1 綾の照葉樹林-2

 ゴールデンウイーク過ぎなので観光客も車もちょっと少ない時期だが、照葉樹林の緑が黄金色から新緑へと変わる美しい時期だ。天気予報は「曇りところにより雨」と出ていたから少し不安はあったが、雨も降らずいい散策となった。
 綾町役場裏に集合後、車6台に分乗してまず「千尋の森(せんぴろのもり)」を目指した。九電が小丸川50万ボルト幹線をつくるために、照葉樹林の一角を伐採し巨大送電鉄塔を建てた場所だ。会員がその時のことや原発との関連など説明。ここは綾の照葉樹林のコアを守るための緩衝地帯として重要な場所だ。照葉樹林の入口にいったばかりの所なので、景観上も好ましくない。しかし、今、鉄塔はそこに建ってしまっている。いつの日か撤去を望む。
 そこを終えると、照葉大吊橋(てるはおおつりばし)より少し上流の展望がきく場所へと向かった。最初の写真と二番目の写真は、そこから撮ったものである。「アヤグリーン」とした意味は、この景色を見れば一目瞭然と言えよう。様々な緑色の照葉樹が重なり合って美しい景色をつくっている。一般観光客はほとんど吊り橋までだが、県道沿いからの展望なので、機会があればぜひ足を延ばして欲しい。
 さて次は、綾の渓谷だ。美しいヒスイ色の淵である。県道からちびっ子も一緒に渓谷へと下った。思ったよりも長い下りだった。ちびっ子にとっては大冒険のはずである。せせらぎの音が聞こえ、ヒスイ色の淵が木々の間にみえた。会員がつくったポスターでは見ていたが、実際は想像を超えて美しい水の色である。ヒスイ色、美しい深い緑色だ。知る人ぞ知る綾川渓谷の淵である。多分、夏には家族連れ等がゆっくりした時間を楽しでいるのだろう。そういうことを想像しながら、県道への上り坂は、少し疲れ気味。しかし、疲れた後は、お待ちかねの昼食。
 川中キャンプ場を目指した。そこにはもう野草の天ぷらが用意されていた。グッドタイミングである。ヨモギ、クズの新芽、アザミの花の他、セイタカアワダチソウの新芽やシロツメクサの花、スイバの花など身近に見かける野草が摘んであった。天ぷらにすると、これが美味い。写真のとおり、最後は通りかかった他の団体も召し上がるというにぎわいにまでなった。このキャンプ場では、過去に照葉樹林に関していろんな催し物があった思い出の場所でもある。この日も家族や友人たちと思える人たちがテントを張り、綾の森を楽しんでいた。
 野草の天ぷら付きというおまけがついた昼食の後は、本流にかかる吊り橋を渡り、イチイガシなどの大木を目指すこととなった。しかし、この吊り橋、丈夫なのだが結構揺れた。それぞれの足並みが違うためだろう。吊り橋を渡るとまた小難関。綾南川に注ぐ小さな支流が、前日の雨で少し水かさが増えていたのだ。そのため飛び石伝いに簡単に渡れる予定が、少し手間取ってしまった。ちょっと足先を濡らした人も出た。極寒の登山であったら、命とりにもなるところだが、ここは初夏前の綾の森。大丈夫、大事には至らなかった。渡ればすぐにヤマモモの林。よく見れば樹間もそろい、ヤマモモの畑である。葉っぱの先には、もう小さな実を付けていた。そして旧トロッコ道へ。木材を切出すためにずっと以前につくられていた道である。使われなくなってから長い年月が経つため、ところどころ崖崩れを起こしている。道の両側はシイやカシの森が続いている。やがてその道の端に目指す大木が現れた。イチイガシの大木である。幹回りを測ってみることになった。ヒモを胸の高さにまわして、約5m。樹齢400年とも言われるらしいが、そこまではないようだ。そこからトロッコ道をそれて少し登るとすぐにタブノキの大木。こちらはそれ以上の幹回りである。よくぞ切られずに残ったものである。回りに目をやれば、イスの大木もある。目測だが、幹回り1mはありそうだ。樹齢から言えば、こちらもただ者ではないと思う。イチイガシやタブノキ、またイスの木周辺は綾の森のエキスのひとつだろう。ガイドの案内でぜひ訪れて欲しい。
 クマタカ観察まで行ないたかったが、予定時間となり欲張らずに日程終了。綾町役場裏までもどり、解散となった。(2014.5.18)



ビロウ樹生い茂る青島の神域へ

◎写真家・芥川仁さんと歩く青島植物観察会

青木幸雄(宮崎の自然と未来を守る会)

いざ青島へ!

「いざ青島へ!」とは言っても、今回は足下の青島が観察会の舞台。いつもと違って午後3時スタート、約2時間が午後の部。夜の部が午後7時から。参加者は昼・夜で34名。

行ってみるべし青島植物園

青島駅スタート、青島植物園を抜けることにした。クワズイモに目が止まる。毒があって食すべからず、「食わず芋」だ。大きな木にピンクの花が咲いているのがみんなの目に入った。日本ではあまり目にしないアルゼンチンの花木だ。名前はパラボラッチョ、酔っ払いの木なのだそうだ。5枚の花びらが大きくついている。しばし見とれていたら大きな花がひとつ舞い降りてきた。

ハマウド見てみるべし

植物園を抜け、波状岩(鬼の洗濯板)の成り立ちなど聞きながら、青島着。すぐにヨシに似たダンチク(暖竹)が目に入る。青島の南側から東に勢いを伸ばしている。これが島の周りを取り込んだらどうなるだろうと心配する。が、もしそういうことがあってもずっと将来のことだ、で一見落着。次は南九州以南というキダチハマグルマ。一見弱そうだけど繁殖力が強いそうだ。一面の緑にタンポポに似た黄色い花がきれいだ。大鳥居をくぐり青島神社入り口をすぎると、波状岩に断層らしきものがあるのを発見。どうも島中心部に向かっていて気に留めておく必要がありそうだ。海岸にはハマゴウが群生。時期はすぎていたが、部分的に紫色の可憐な花が残っていた。宮崎の海岸ではよく見る風景だが、やはり浜を代表する植物だ。そしてすぐそばに、時期は過ぎ枯れ枝となり背伸びしたハマウドがポツリ、一人寂しげだ。何かに似ていると思ったら、アシタバそっくりだ。ハマウドは、「浜独活」「鬼独活」とも言われ食べられない。山に行けばウドがあり食べられ、野にはアシタバということになるのだろうか。アシタバは明日葉と書き、もちろん食べられる。折ると黄色の汁が出る。折りとってもすぐに新しい葉を付けるから明日葉と名がついたといわれるほど、生育旺盛だ。青島周辺ではお茶やアイスクリーム等に商品化されている。ハマウドは折れば黄白色の汁のようだ。こちらも負けず劣らず生育旺盛とみたが、枯れ幹・花となっている今は想像してみるだけだ。 ゆっくりと青島を半周した。いわゆる砂は無い。砂と思しきは全部貝殻だ。貝殻が波で寄せられ風で寄せられ、砂地(貝地)を形作っている。太平洋に面した東側は、島の中心部に向かって、波状岩---砂地(貝地)---草地---照葉樹---ビロウ林と続く。自然の姿だ。

青島の中はビロウの密林

さてこれからが今日のメインイベント、普段は入ることはできない島内観察だ。許可を得て入ることができた。遊歩道から一歩中に入れば途端にそこは別世界、ビロウ密林と呼ぶべきところだった。日は射し込まず、浜風も届かないため、湿度たっぷり、地面はビロウの落ち葉が朽ちて積み重なりふかふかブカブカ。あちこちにキノコ類が見えた。予想もしなかったビロウ密林の中を案内者の後を追って歩く姿は、まるでジャングルを行く一行に見えた。映画ならここでサルが叫びニシキヘビなどが待ち受けたりするところだが、ここではそれは無い。今回は長袖シャツ・長靴といういでたちだったが、幸い何事もなかった。背高いビロウに混じって若いビロウも見られた。次代のビロウたちだ。朽ち果てる葉っぱと青々とした葉っぱを広げる若いビロウ。ゆっくりと時間が流れているのだろう。タブも大木ではないが幾本かあった。海からの風をうけるためか、どのタブも斜めに立っていた。ビロウ林の上に伸びれば、風に痛めつけられるのであろう、そのため幹を斜めに倒し背を低くしているとみた。大木がないのは、土層の脆弱さによるもののようだ。 ビロウ林を歩き疲れてそろそろ終わりの時間が近づいてきた。ビロウ林から遊歩道に近づくにつれ明るくなり、海が垣間見え、心地よい海風を感じた。夕方の5時近くだ。遊歩道に出て歩を進めると、そこにはいつも観光写真や青島名物『宇いろう』の絵で見ていた砂地のビロウ林だった。密林的ビロウ林を見た後のビロウ林は、少し歳をとった乾燥肌のビロウ林に見えた。もう人影が長くなる時間帯になり、晩夏から初秋の残光が青島の海にまぶしかった。

青島の暗闇を体験

さて、夜は新たな参加者も加わり暗闇の青島体験。マムシが出るという本宮様への道をはらはらしながら摺り足状態で進み、本宮様の前で真っ暗闇を体験。時間が経つにつれ生来の眼をとりもどしていくのか天と木と地を見分けられるようになり、あちこちに光る小生物も感じ、体験の目的のひとつでもある青島という小さな宇宙を感じることになった。木々の隙間をぬって見える空には、雲が薄くかかったはいたが時折星が瞬いた。本宮様前での体験を終えて足下を薄いライトに照らされて歩くと、なんと光のありがたいことか。こんなところを歩いたのかと足が早くなる。潮騒に近づくにつれ、風のない生温い感覚から解放された体は、心地よい海風を体いっぱい吸い込んでいるようだった。(2012.9.9)



3.11福島を忘れない! 第135回原発再稼働反対ウォークスペシャル

◎記憶に残る再稼働反対ウォーク

青木幸雄(宮崎の自然と未来を守る会)

例年2月に入ると雨が多いが今年は晴天続き。月が変わった3月は逆になんとなく雨が多い感じ。でも、スペシャルウォークがある週は初めから晴れ続き、この日も晴れ。よかった!
18時前、県庁中庭には、人が集まり始めた。風船も配られ始め賑やか模様に。いつもはここで幾人かのスピーチの後、ウオークの始まりだが、この日はデパート前交差点で集会のをするため、すぐにスタート。
黄色地に「原発やめて!」の横断幕は、ほとんど毎回参加だ。最初に登場したのは、大淀川河川敷での集会だったか。東風に膨らむ横断幕は結構目についていた。この横断幕、福島事故の年の福岡での集会や、その後の佐賀、愛媛、鹿児島等の大集会にも参加してきた歴戦の横断幕だ。
さて200人のウオーカーズ(デモ参加者)は橘通東側歩道を長い列となった。一番前列は「3.11福島わすれるな!ストップ原発再稼働」の横断幕。「忘れない!」が「忘れるな!」になっていたが、書き手の思いが、風化の現状を戒めさせたのか。元気な男の子は横断幕を持ちたくて行ったりきたり。そのあとに「原発ゼロへ!」の幟などが続き、原発いらないの声がアーケードに響いた。
18時35分には先頭が集会会場へ。宮崎では最も人通りの多いデパート前交差点の一角だ。参加者を歓迎するようにアコーディオンの演奏開始。練習を重ねたとも聞いていたが、期待にたがわずいい音色が流れた。そして集会開始。やっぱりこの日は「黙祷」から。地震・津波でなくなった沢山の方、加えて原発震災で、助けようにも助けられず亡くなった方、心からご冥福を祈りたい。
主催者側から福島原発の現状や甲状腺障害のこと、そしてストップ再稼働の訴え。続いて福島支援を続けている学生や、避難者、常日頃からのウォークの参加者、ドイツの若い女性などのスピーチが続き、川内訴訟の弁護士が仮差止めや本訴訟の現状等説明でスピーチが終わり、最後は合唱。そして東京からの避難のSさんが心を込めた「川内原発再稼働反対!」のシュプレヒコールで幕。みんな言い足りなかったのだろう、50分の集会予定は10分ほど延びていた。
大急ぎで、ウォークの締めくくりの九電宮崎支社前へ。ジャンベ隊が待ちくたびれているはずだった。その様子も見せず、ジャンベ隊は、持ち前の力強いジャンベを響きわたらせ"川内原発再稼働反対!"と太鼓した。締めの大トリは、ウォークに毎回参加・高齢のYさん。参加者に東京の方を向かせ、「安倍首相、原発やめさせろ!やめさせないならお前がやめろ!」、九電支社の方へ向き直り「川内原発再稼働やめろ!」とシュプレヒコール。記憶に残る135回目(2015.3.15)でした。

ミツバチ ミツバチ


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